朝、目覚めの直前に、夢を見ていながら意識も醒めかかっている中間的な状態を経験したことが誰しもあるだろう。そんな時「夢の続きを見たい」と、また眠りに戻ってゆくこともあるし、目が覚めてしまい、それにつれて夢の内容も思い出せなくなってしまう・・・なんて場合もある。

先日の朝の鶴ちゃんは、そんなまどろみの中で「フィボナッチ数列」を暗算していて・・・987まで行った。「合っているのだろうか?」と気にしながら目が醒めたのだが、・・・変な夢を見たものだ。

フィボナッチ数列についてはこちら

その数日前に、メディアウイークの行事の中で○村教授が自分の曲を分析していて、フィボナッチ数列を用いてリズムを決めている部分の説明をしていた・・・のを思い出したのだろうか?「私は、自分の好みや感覚で音を選んだりしません、すべてきっちりとした理論にもとずいて音を決めているのです」と力説する○村教授の声が印象に残っている。・・・また、以前に読んだロジャー・ペンローズの著作の中で、P氏が自然界の中にフィボナッチ数列と同じ数列が見られる例を興味深く紹介していたことも、記憶によみがえってくる。

しかし、人間の感覚を否定して理論だけで作る音楽が優れた音楽と思っている人はどのくらいいるのだろう?鶴ちゃんはそんな考えは持っていない。鶴ちゃんがこれまで好きになった曲や感動した曲を,すべて理論で説明できるかというと、そんなことは出来ない。ある程度理論的に分析できたとしても、感動の内容すべてを説明することなどとてもできる訳は無い。一級の優れた物理学者や科学者に「音楽の感動」について理論的に説明してくれと言ったら、出来ないと断ってくることだろう・・・芸術の感動は人間の心に関する問題であり,現代の最先端の知性を持ってしても全てを解明することなど不可能なのだ。
人間の能力の一つに「理性・知性」というものがあるが、もう片方に「感情・感性」というものがある。人間の能力はその両方をうまく使っているが、芸術などは当然その両方をフルに使って表現しているものだろう。知的な側面の鍛錬と感性を研ぎすます修練とが相まって「芸」に於ける優れた「勘」(西欧的表現ならば「霊感」)が身に付いてくるものだと思う。

 ・・・暗算の結果を気にしながら目覚めるのはあまり気分の良いものではない・・・出来ることならもっと楽しい夢を見たいものだ。