「止まっている(溜まっている)水は臭ってしまいます。それと同じように、芸術も止まってしまっては駄目です。常に進歩しなければ・・」・・この考えには、鶴ちゃんも賛成です。お決まりの表現の中に安住してしまっては,もはや芸術と呼べる作品ではありません。芸術家は常に新たな表現を追求するものなのです。

水に例えたついでに,ここで「進歩」というものを水の流れに例えてみましょう。
水の流れには、ゆったり悠々と流れる水もあれば、激しく岩を砕きながら流れる激流もあります。ゆったりと流れる水は,濁りを深く沈殿させてゆくので、その水の表面をすくって飲むことが出来ます。しかし、激しく流れる水は濁流となって、とてもすくって飲めるものではありません。(飲んでも良いけれども、変なものが混じっているかもしれません。)20世紀に、音楽・芸術の分野は急激な表現の革新を経験しました。あの急激な新しさは、まさに激流のように、人々にゆっくり味わう暇を与えてくれませんでした。

鶴ちゃんは少し古めの表現の中にもまだまだ多くの可能性があるように感じていたので、20世紀的な最新の表現の追求に熱心に取り組む気になれず、「もう少しゆっくりとした進歩で良いのではないか」と、自分の音楽を表現(作曲)してきたように思います。「ゆっくりした水の流れは、人々がそれを飲んで味わうことが出来る」~鶴ちゃんの芸術表現は,多分こうした感じのものを目指していたのでした。これからも、この姿勢は変わらないと思います。最新の表現法を用いない為に、コンクールの入賞などには永いこと無縁でしたね。

音符鶴ちゃんが大好きな作曲家は、フォーレ(特に晩年の作品)とコルンゴルトです。この人たちの音楽は、激流でなく、緩やかに太く流れていましたね。味わいが有って、素敵です。ドキドキ大

今月末に、鶴ちゃんが昔作曲したピアノ曲を出版する予定です。「この曲良いですね」と言ってくれる人が約2名いた為に、出版を決意しました。(^^)