東京五輪のマスコットについて、公募で選ばれた候補作品の中から,最終的には全国の小学生の意見を集約することによって最終決定をする、という案が 発表された。なるほど、こうすればオリンピックも国民的なイベントとして、さらに全国の国民の意識の中にひろく浸透することだろう、面白いいいアイデア だ・・・と一瞬思ったが、色々考えていると心配な面も有ることに気づいた。あげく「これでは小学生が可哀想なのでは?」とまで思い始めた。なぜ か?・・・・なるべく長くならないように要約して書いてみようと思うが、それでも長くなりそう。
1.最終的な小学校単位の投票結果については、ガラス張りにすべきである。ネットで公開するなど、どの学校がどの案に投票したかが公開されるべきだ。公開 されれば、投票した小学校ではそれを確認し、自分の学校がどんな案に投票したかが、きっちりとネットに情報として載っていることを確認出来る。つまり、不 正な操作が不可能になるということだ。だからガラス張りにすべきである。もしこれをしないとどうなる か?何らかの理由で小学校単位のプライバシーに配慮し、どの学校がどの案に投票したかは解らないように、数値だけの投票結果を発表するという事になれば、 嘘の結果発表だって可能になるということだ。どこかのおエラい方の気に入った案をあたかも全国の小学生に選ばれた案として公表することだって出来る。「ガ ラス張り」でないということは,そういう恣意的な不正が行い得るということだ。そんなことになったとしたら、小学生達は単に名目として利用されただけとい う事になり、「人間の尊厳」という観点から見るとこれほど馬鹿にされた話も無い。可哀想なのである。
2、では、ガラス張りに投票結果をくまなく発表されたらどういうことになるか?運良く自分たちの学校が選んだ案が,最終決定として選ばれたなら、選んだ側 としても嬉しいし,鼻高々だろう。惜しくも自分たちの選んだ案が選にもれた学校は、ちょっとがっかりだ。ちょっとがっかりでもそれが人に知られないならば まだ良いが、「ガラス張り」で誰にもそれを知られるという事になると、投票結果が「当たり」だった学校と「ハズレ」だった学校が公表されることになる。こ の町のA小学校は「当たり校」だったがすぐ隣のB小学校は「ハズレ校」だったということになると、「ハズレ校」のこどもが「当たり校」のこどもたちにから かわれたり、馬鹿にされたりしないとも限らない。いじめの一つの材料にされかねない。オリンピックのマスコットを選ぶという権利を得たのは良かったが、選 んだ結果については子供達が責任を負わなければならない、という、悲しい一つの事例が発生してしまうかもしれないのだ。可哀想なのである。

憶測だけが元になっている話のようだが、どっちにしても子供達が可哀想なことに成り得る。こんな案は、結局のところオリンピックを盛り上げる為に子供達を利用しているだけで、ろくな案ではない・・・と今は思っている。



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